後継者の育成(建築大工)その2

ジャージ×坊主×金髪×チャリで面接に来たのは、今一番長くいる阿南魁棟梁(棟梁になって完工数は46棟以上)

ちなみに前回の後継者育成その1でイラストを描いていただいたのですが・・・

それを見るなり会長から一言

「・・・こんなにいい自転車じゃなかった(笑)もっとボロだった」と(笑)

そこらへんはサービスということで🎵

阿南魁棟梁は高校卒業後専門学校を出て医療事務をしていたそうで、会長が「なぜ、大工になりたいのか?」と聞いた時

阿南魁棟梁は・・・

「体を動かす仕事がしたい」

当時、大工さんと足場屋さんのどちらを面接に行くか悩んだそう。
実は、この足場屋さんは今では藤丸建設の足場をしてくれているので、もし、美根さんが足場屋さんだったっら・・・
違う形で会っていたかもしれません。
美根さんが足場屋さん・・・
足場のポール?めっちゃ早いスピードで、すごい勢いで上にパスしそう(笑)ほいっほいっって(^-^)

当時、猫の手も借りたいくらい、鉄砲も数打てば当たると思い、来るもの拒まずでOkを出した会長

入社時、正直どんな指導をしていたか記憶がないくらい毎日飲んでいました(笑)

私が入社したのはそれから何年もたった時でしたが、まだまだ飲み会?毎日の慰労会?が多かったですね。週末は飲んでいた記憶。
当時、ビールを頼むときに
「ケースで!!」って追加のビールを注文した、その一言、衝撃的でしたね(笑)
まぁそのケースもあっという間になくなりますよ

会長曰く「美根くんがはいってから酒盛りが急に増えた・・・」と

ある朝、出勤してきた美根さんを見ると、えらいおとなしいなと感じた会長。どうしたか聞くと、朝まで飲んでいたそう。
朝まで飲んでも遅刻は一度もない。そんな根性の持ち主。大工さんとしての腕もめきめきと伸びていったそう。

阿南棟梁が入社して1年もしないうちに工業高校卒業の女性が入社した。神田さんだ。棟梁として30棟以上もこなしてきて、現在は設計士として活躍。狭き門の一級建築士に合格し、もともと大工さんとして、棟梁として木を扱ってきた神田さんの設計は、大工さんの仕事がふんだんに生きる設計としてお施主様からも注目を浴びている。

神田さんの後にもう一人、普通科高校卒業し、大学卒業をした子が藤丸の門をたたいた。
現在は卒業して独立しました、武津棟梁です。

会長にとって阿南棟梁、神田棟梁、武津棟梁、この3人はとても頭が柔らかく、物覚えが早く、何よりも競争心にみちていたそう。3人は性格の違いはあるが、思いは一つにあると感じ、当初会長が3人に言った事とは・・・

「何でも良い、大分県一を目指そう・・・」

元気のいい若者の集まり、存在をアピールする、それには木造の欠点を打破するために試行錯誤しながら・・・

「がむしゃらに働け・・・」

現在では考えられないですね・・・(^-^;)

早く覚えるために、日曜日も休みなく深夜まで働き続けた。もともと日本人は労働を美徳と考えた風習もあった。そのおかげで仕事の受注は何とか伸びていった。

落ち着いたと思ったのもつかの間、新卒が初めて同時に3人入ってきた・・・

待っていたのは今までにない苦しい数字・・・

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