二棟の棟上げが終わりました

先日、大分市O様邸の棟上げを終えた一週間後にお隣のT様邸の棟上げを終えました。

藤丸建設の家が二棟並ぶとやっぱりうれしい。
何よりも棟上げが終わった後に家の中に入って見上げるお施主様の姿が好き、棟梁やみんながぐるっと見渡す感じも好き。
それぞれがどんな思いで見ているのか気になるところだけど、その空気からは安堵・気持ちよさ・ワクワク感を感じる✨

上棟式の時に、お子さんがゴロンと寝転がったのが何だかかわいくて・・・でもまた床の下地だけなんだけど、見上げるって最高!!
完成した時にリビングにゴロンって寝転がって吹き抜けを眺めてください(^-^)

アルプに一番最初に来てくれたTさん、アルプは解体してしまったけど、こうして次々とお施主様とのご縁をつないでくれています。
アルプにも数回足を運んでくださり、その後あった大分市内の見学会にも来てくれたT様、土地とのご縁もあり、こんの日無事に棟上げを終える事が出来ました
おめでとうございます✨

Tさんから頂いた春を感じる桜のメッセージカードに一人一人手書きでのありがとうございました(^-^)
嬉しかったです。

ご上棟おめでとうございます!
これからもどうぞよろしくお願いします!

棟上げ・・・

先週の金曜日に行われた大分市O様邸棟上げ。

忘れもしないOさんとの出会い・・・
お友達のKさんと見学会に来場、
色々とお話をして頂いたのを覚えています。
そう、あの時、アンケートを頂いたんですが・・・

なかなか良い土地にも出会わず・・・

すると、ちょっとご無沙汰して・・・

そしたら、その時に一緒に来られたKさんの家が完成して・・・
見学会に来てくれて・・・

それからちょっとご無沙汰で・・・

そしたら、アルプで会って・・・

土地とも出会い・・・

・・・

復活!!

ありがとうございます😊

棟上げにはお友達のKさんも来てくれました。嬉しい
当日は、ずっとそばで見守っていてくれたO様、

私達は棟上げは何度も経験しているけど、
何度も嬉しい棟上げ
そこに立つ家も違うし、
そこにすまうお施主様も違う
見守るお施主様も違う

まるで初めての棟上げのような気持ちになります。

設計図が上がってきた時に会長が「こりゃーいい家になるわ」ってポロッと口からこぼれたのを覚えています。
だから、完成が楽しみ

お昼に炊き出しで豚汁を会社から持って行ったのですが・・・
具がほとんど売り切れで、汁しか残ってなかったけど、一緒に食べてくれたOさん(亜矢ちゃん情報(笑))
ありがとうございます。

大きな買い物の決断を我が社に託していただいたこと、
本当にありがとうございます。

この度はご上棟、おめでとうございます!
これからもよろしくお願いします!

おめでとうございます✨

後継者育成(その4)

「上棟の日の前日は眠れない・・・」
これはよく昔は聞く話で、最近はどうだかわかりませんが(^-^)

やっぱり上棟という家の建て始めというビックイベント・・・
棟が上がらないは許されない・・・
そんなプレッシャーの中やはりドキドキすると思います。
ましてや、自分が育てた若い棟梁の初めての墨付けとなると、自分のことではないけど、緊張して眠れなかったと聞いたことがあります。愛されている~

さて、前回の後継者育成のものがたり3からの続きになります。
間にちょいちょい違うブログが挟まっていますので、今一度その3を見返してみてくださいね✨

墨付けをしたはどんなに熟練工でも前日は眠れないのが普通、間違いが少なく無事に上棟までいけるのか責任重大。

間違いや勘違いも心配になるが、そうなると集中力が切れてしまうので、けがや事故につながってしまうそれが一番心配。
何もなく、無事に上棟式を迎えることができることが何よりもうれしい。

棟上げの日、現場に響くトントンという力強いカケヤの音と「せーの!」という声だけが響く現場は雰囲気がいい。
みんなの集中力もいい。小言が多いと現場の雰囲気も悪い。

「棟上げを無事に終わらせる」一つの目標に向かって色々考えずにみんなが集中している現場は最強
棟が上がったときに、みんなが担当棟梁に向かって「おめでとうーーー!」という瞬間はいい。

そもそもなぜ手刻みて加工なのか・・・
それはやはり、
自分の手で造ってきた、扱ってきた材料には気持ちが入ります。
愛着がわきます。

気持ちが入ると、事故やケガが少なくなります。その気が守ってくれている。

また、自分がした仕事が化粧の柱や化粧の横架材・化粧の桁と、壁の中に隠れることなく見える。
なるべくなら若い人のしてきた仕事を隠したくない。そんな気持ちもある。

柱や桁を隠せばシンプルに見える事だろう。しかし、その一つ一つの仕事に私たちはほこりを持っている。だからこそ化粧材として表し、そこに住まう人々を見守っていてほしいという気持ちを込めて。

完成まで「大事に、大切に扱う」それがケガや事故を無くす一番の良案であること、せっかくこの道に入った若者五体満足の棟梁に育てて卒業させたい一心。

棟上げの日はあさ5時起きが多い、一度も目覚ましや起こされたことはない、自然と目が覚める。
現場集合は朝7時前。いつもの現場の始まりは8時だが、棟上げの日はやはり特別である。
この時間は彼らの責任感から始まったもの・・・

肩慣らしに柱を立てていく。柱は15分から20分くらいで建て終わる。その後、墨付けをした担当棟梁を中心に円陣を組み、朝礼。

みんなヘルメットをとってわきに抱え、真剣に話を聞く。
今でもそれは美しい姿である。
話しているのは棟梁一人。みんなその日の段取りをちゃんと聞いている。
この時、みんなこの日の棟上げがうまくいきますように、怪我無く無事に終えますようにと願う。

阿南棟梁の初墨付けの棟上げも同じように幕を開けた。
クレーンのブームが指導し、最初の横架材が上から降りてくる、この時何本もある柱のうち一本を支えていた。
柱を降りてくる横架材の穴に入れようとしたとき、私の持っている柱が長いのが分かった、しょっぱなから・・・また始まったかと青ざめる。これから、どれくらいの勘違いがあるのかと考えると・・・

組み立てる時には危険は意外とない。間違えに気が付き、その木材を外す時が一番危険なのである。そんな危険な作業が一発目からはじまった・・・

硬直したみんなの姿を見て大声をかけゆっくりケガの内容に大事に外す指示を出す。(本当は悔しくて罵声を飛ばしたくなるがこういう勘違いは決して叱ってはいけない。ぐっとこらえる)

長い分は所定の長さにもっていけばほとんど使用できる。

さぁこれからが大変、往ったり来たりの果てしない長い時間が始まる・・・

思わず吹き出しちゃう!!

この前、お施主様と藤丸建設の家の値段について話したんです。

事の始まりは、「藤丸建設の家は高いですね」ってよく聞かれる~と言う話から

「でも、よく聞かれるけど、いつもこう思うんよ、30年しかもたない家と100年もつ家って考えたら・・・」

税込2,000万で30年もつ家を建てたら・・・
2,000万÷30年(360か月)=月々55,555円

じゃぁ100年もつ家を税込3,000万で建てたら・・・計算してみると
3,000万÷100年(1,200か月)=月々25,000円・・・

25,000円!?思わずプッって笑ってしまった私を見て、会長が気になったようで、「どうしたんか?」と食いついてきました。しめしめ(笑)
で、この話をしたら、会長も「やっし~のぉ」と笑っていました。

100年も生きないわ~とか
ローンの月々の支払いは高いやんとか思おうかもしれませんが、
見えない部分の話です🎶

話をもう一つ

みなさん「がな」って分かります?
亜矢ちゃんに聞いたら・・・

「チョコレートの事?」

・・・

それ、ガーナ(笑)

大分の方言で、
安い価格とか、相応、値段分とかいう意味になります。

安いものはその値段だから仕方ないということです。
しっかり見極めましょう。

その金額以上の物を

ふとなこんな会話をしたら太鼓梁りと丸柱が懐かしくなったんです

さて、とあるある日(笑)

事務所で珍しく集中していた日。事務所には私一人でみんな打ち合わせなどで外出。

たまたま、ある棟梁が事務所の中へ・・・どなたかは想像にお任せします。

「どう最近?」

・・・いやいやこんな始まりではなかったんですが、とにかく珍しく職人さんに“仕事”についてちょっと聞いてみたんです。私、恥ずかしがりやなもんで、なかなかどお?とか聞けないんですが、珍しく(笑)

「他の棟梁と比べられるのはどお?」(←ちょっと聞き方違いますが・・・)こんな感じのことを聞いたんです、

そしたら・・・

「むしろチャンスだと思います」
「比べられる対象が後輩なら、しっかりとできる自分で全力を。それが先輩なら、抜く勢いで」

あーいいな。職種が違うけど、このモチベーションに負けたくないと正直・・・ジェラスッ!

ジェラシーを覚えたけど、この言葉を聞いた時に・・・
大工さんとして先輩じゃなくてよかったってちょっと思った私(笑)

まだ、丸い大黒柱や太鼓梁りをしたことがないというこの棟梁、

丸い大黒柱・・・
太鼓の梁り・・・

思い出すのは、会長設計に安部棟梁が担当したお家。
久しぶりにお家に行きたいと思うと同時に、若い棟梁たちにも見せたいと思った今日この頃。
そろそろ職人さんを連れてお宅訪問のオファーしようかな・・・

大切な事はどこから来るのか

最近、出勤する時にラジオを聞いています。
月曜日から金曜日までOBSラジオである武田鉄矢の三枚おろし?だったかな?

これがなかなか面白くてですね、一つのテーマを一週間いろんな角度から見たり、そこから色々広がったりするのですが、なるほど!と思う事も多々ありまして・・・

金曜日は、「大切なものは目の横から入ってくる」という話をしていました。
要は視野を狭くしていると、大切な事は見逃してしまっている事が多く、ぼんやりとひろ~く見る事でいろんな事に気が付く。

合気道の人が相手の手の動きだけをみているとダメで、相手を見ろという教えがあるそう。それと一緒でそこだけ見ててもダメなんだと。

私、マクロビ(マクロビオティック)を少し学んだことがありまして・・・
マクロビを始めるまで、”マクロ”ってある特定の物とか、狭い視野の事だと思っていたんですね、
カメラにマクロレンズというものがあって、それは花とか小さな物を撮るのに適したレンズなんですが・・・
だからマクロビのマクロも小さいとか狭い視野という意味かと思っていたら、これまた正反対な意味でして
広い視野と言う意味ですね。

何事も広くぼーっと見ると言い事がほいほい思い浮かんでくるんですよ。
私の場合広告のアイデアとかそれを考えていない時、他の事からほいほい浮かぶことが多く
それはまさしく、視野を広くぼーっとみていたからかもしれませんね。ただ、ぼーっとしているわけではないんです(という言い訳もいれたかった次第です(笑))

今のコロナ禍でも同じような事があり、希望ばかり見ていると、絶望が見えてくる。

希望ばかり見て何が悪いのか・・・プラス思考でいいじゃないかって思ったんです。
でも、希望を見るのとプラス思考は違う気がして・・・

実は朝礼や棟上げの現場で、わりかし客観的?と言いますか、少し輪から離れたところから見ている感じで見ている事が多々ありまして
そんな時、出来る人と出来ない人の違いは何か・・・?とか思ってみてたら
この時点で希望(要望)ばかり探してたんですね、こうあってほしいとか、こんなのだった良いのに・・・って
だから絶望(非の部分)しか見えなかった(^-^;)反省反省。
でも、ヒントは魁棟梁にありました。それは柔軟に対応できる。
やっぱり魁棟梁と呼ばれる意味があるんだと。
余裕ですね。
いつかの書初めに藤丸奥さんが「余裕」と書いていた。この事か?と

お施主様も言っていました、自分に知識とか勝る物があると、他の人がどうのこうの言おうと別に何とも思わないと。
逆にどんな反応をするのか楽しみと
ほうほう。知識と言う余裕ですよね。勉強になります。


※”よゆう”です。良い子はマネしないでください。

とにかく、みなさんよければ来週から是非聞いてみてください

コロナ、コロナと言いますが・・・
密を避けるとかマスクを着用する、うがい手洗い・・・
はて、私達にはそれだけしかできないのか??
もっとできるはず、丈夫な体をつくるために、適度な運動や栄養のある食事、内面を強くするとか
たくさんの可能性がみなさんにはあるはず。
コロナのためだけではなく、もっと素敵になると思いますよ

後継者の育成(建築大工)その3

阿南さん、神田さん、武津さんが入社して数年後、

まさかの新卒3人の入社希望が・・・

当時、長くて3年前後の若者が2名、他は1~2年くらい経ったのが3名、熟練工が1人。

指導棟梁が育っていない時期にどうして指導すればよいか迷いつつも、たくさんの想いを抱えながら藤丸の扉を開けた新卒3名・・・

そんな彼らの気持ちを考えると、会社として苦しいと思いつつも彼らを採用することにした、

無理をして入れた結果は数字を見れば一目散にわかる。この時期一気に大工手間だけでも見積金額(今よりも高い金額)の倍以上彼らに支払っていた、
福利厚生を考えたら大変な数字・・・

もちろん私や女房の給料は無い

とにかく、若い子が入ってくるようになっただけでも努力し甲斐があったと思っていました。

当時のご協力業者様には「必ず恩返しをするから」と育成への協力を呼び掛けた
ほとんどの業者さんが賛同して頂き、ムダ・ムラを省く会議やCADを使っての上棟までのプロセスなどの勉強会に集中し、もくもくと働き続けた。

当時、米良に作業場があり、夜遅くまで煌々と電気がついている作業場。
近くに住んでいた山崎棟梁は「ここに入社するとこんな遅くまでするんや・・・」と前を通るたびに感じていたそう。
結局数年後藤丸建設に入社することとなりますが(笑)

まだまだ指導棟梁がいない中、迎えた3人の新卒。
技術面で一番困ったことは、手造りに要の墨付け作業(桁表し・構造材が全部化粧で見える状態を覚えさせる事でした。

木の上下や反り・強度・色艶・継ぎ手のいち・乾燥状態等間違いのないように墨付けすることは短い就業期間では至難の業。

思い切ってさせてみたら間違いだらけで・・・穴があったら入りたい心境(^-^;)
こんな失敗の多い上棟が何回も続いた、正直今と比べ物にならない。
失敗した木材は取り換えなければならないから材料費や人件費が嵩む。

しかし、こんなことを繰り返し、繰り返ししてきて、今がある。

任せた以上間違っても叱るわけにはいかない。
基本んをしっかりやっていればそんな失敗はない
基本を守らない子には厳しく罵声も飛んでいた

3年を迎えたある日、40坪の住宅の建築が決まった

「美根くん、墨付けをやってみるか?」

「は・・・はい」

当時の心境は美根さんが以前お話をしてくれたことをブログに乗せていますので、そちらも見てみてくださいね
美根さんのお話

様子を見ていたら2時間くらい何もせずただボーっとヒノキの土台の前で突っ立っていた。

早かったか・・・?と思いながらも・・・
夜中に様子を見に行ったら、黙々と墨付け作業をしてかなりの本数が終わっていた。

その時の輝いた目と姿勢は今でもはっきり覚えている。
「これはいける」と思いつつ、そしていよいよ上棟の日を迎えた・・・

よみがえる家・・・再生する家

「何十年も思い描いてた藤丸建設での家づくりが、やっとかなったよ・・・」

棟上げを終えた現場に来た、嬉しそうに話すKさんは、何十年も前から藤丸建設を知っていたそう。娘さんの友達が家を建てると聞いた時、「藤丸建設!」とおしてくれた。もちろんその方は藤丸で家を建てました。

「この棟上げの日まで眠れなかった」
すごく緊張してる様子で
「二礼二拍手間違えたらどうしよう・・・」と、娘さんと同じくらいの年の私の目には、なんだかかわいい姿でうつりました。

忘れもしない、Kさんと出会ったのは、豊後大野市犬飼での見学会。

初めて会ったその日にいろいろとお話をしてくれました。
会社に電話をかけてきてくれた日も「あいちゃん!?・・・色々詳しい話をしたいんやけど」って。
そういえば、アイちゃんがいつの間にかアイさんになってる~!緊張させてしまったかな(笑)

アルプに建てていたモデルハウスの間取りをすごく気に入っていただいて、モデルハウスの移築が決まったKさん。
それからは、本当にこの家が我が家になるのか・・・と何度も何度もモデルハウスに足を運んできてくれました(^-^)

私たちにとっても初めてのことで、正直どうなることか想像できなかった移築。

でも、土曜日の棟上げの日、また新しく息を吹き返した藤丸の家に思わず「おかえり」って心の中で言っちゃいました✨
こんなにうれしいことはない。
一度解体された藤丸の家が、またよみがえるなんて✨
みんなの技術はもちろんだけど、ひとつひとつの材料も。
廃棄処分になった材料もあるけど、こうしてまた違う地に立派に建つ。
誇らしい

おかえり、無為自然

おめでとうございます、Kさん😊
そして・・・
ありがとうございます

後継者の育成(建築大工)その2

ジャージ×坊主×金髪×チャリで面接に来たのは、今一番長くいる阿南魁棟梁(棟梁になって完工数は46棟以上)

ちなみに前回の後継者育成その1でイラストを描いていただいたのですが・・・

それを見るなり会長から一言

「・・・こんなにいい自転車じゃなかった(笑)もっとボロだった」と(笑)

そこらへんはサービスということで🎵

阿南魁棟梁は高校卒業後専門学校を出て医療事務をしていたそうで、会長が「なぜ、大工になりたいのか?」と聞いた時

阿南魁棟梁は・・・

「体を動かす仕事がしたい」

当時、大工さんと足場屋さんのどちらを面接に行くか悩んだそう。
実は、この足場屋さんは今では藤丸建設の足場をしてくれているので、もし、美根さんが足場屋さんだったっら・・・
違う形で会っていたかもしれません。
美根さんが足場屋さん・・・
足場のポール?めっちゃ早いスピードで、すごい勢いで上にパスしそう(笑)ほいっほいっって(^-^)

当時、猫の手も借りたいくらい、鉄砲も数打てば当たると思い、来るもの拒まずでOkを出した会長

入社時、正直どんな指導をしていたか記憶がないくらい毎日飲んでいました(笑)

私が入社したのはそれから何年もたった時でしたが、まだまだ飲み会?毎日の慰労会?が多かったですね。週末は飲んでいた記憶。
当時、ビールを頼むときに
「ケースで!!」って追加のビールを注文した、その一言、衝撃的でしたね(笑)
まぁそのケースもあっという間になくなりますよ

会長曰く「美根くんがはいってから酒盛りが急に増えた・・・」と

ある朝、出勤してきた美根さんを見ると、えらいおとなしいなと感じた会長。どうしたか聞くと、朝まで飲んでいたそう。
朝まで飲んでも遅刻は一度もない。そんな根性の持ち主。大工さんとしての腕もめきめきと伸びていったそう。

阿南棟梁が入社して1年もしないうちに工業高校卒業の女性が入社した。神田さんだ。棟梁として30棟以上もこなしてきて、現在は設計士として活躍。狭き門の一級建築士に合格し、もともと大工さんとして、棟梁として木を扱ってきた神田さんの設計は、大工さんの仕事がふんだんに生きる設計としてお施主様からも注目を浴びている。

神田さんの後にもう一人、普通科高校卒業し、大学卒業をした子が藤丸の門をたたいた。
現在は卒業して独立しました、武津棟梁です。

会長にとって阿南棟梁、神田棟梁、武津棟梁、この3人はとても頭が柔らかく、物覚えが早く、何よりも競争心にみちていたそう。3人は性格の違いはあるが、思いは一つにあると感じ、当初会長が3人に言った事とは・・・

「何でも良い、大分県一を目指そう・・・」

元気のいい若者の集まり、存在をアピールする、それには木造の欠点を打破するために試行錯誤しながら・・・

「がむしゃらに働け・・・」

現在では考えられないですね・・・(^-^;)

早く覚えるために、日曜日も休みなく深夜まで働き続けた。もともと日本人は労働を美徳と考えた風習もあった。そのおかげで仕事の受注は何とか伸びていった。

落ち着いたと思ったのもつかの間、新卒が初めて同時に3人入ってきた・・・

待っていたのは今までにない苦しい数字・・・

後継者の育成(建築大工)その1

一つのモノやコトには、必ず物語があります。

いいことも・・・

わるいことも・・・

どこかでどうにかなって、今がある。
たくさんの物語をかかえて

そして、未来がある。

もう一度いいます。

いいことも・・・

わるいことも・・・

両方です。

はい。昔々、人生の先輩より(といっても5個くらいしか年齢は変わりませんが)

「不平不満愚痴を言う暇があればもっと先に進む事を考えたら?」と

おー!そうね、そうね。立ち止まっているのはもったいない
こういう言葉に出会えたり、人に恵まれているのに感謝します。

あっ、今年は・・・?今年も?(笑)すなお~にブログを書きますので”ブラックブログ”です(笑)あっ、私の更新するブログだけですね。

さて【物語】です。
そう、藤丸建設にもたくさんの物語があります(^-^)
どうして今の藤丸建設なのか、どうして素材にこだわるのか・・・

たくさんの事があって今がある

ここから先は会長の文をもとに書いています。ちょこちょこ私というスパイスが入っていますが(笑)

《後継者育成(建築大工)》

後継者の育成(建築大工)を心掛けて25年余りが経つ
きっかけは熟練工のマナーやソフト面の悪さ、いくら言ってもその場は良いが、すぐに自分本位になる。
それにこれからの「すまい手」のニーズに対応できる頭の柔らかさなど、将来を見据えての行動。

後継者の育成といえば聞こえは良いが、今日まで支援や援助は全くなし、いち工務店が自力で育成するのは大変なこと、ずいぶんみんなから反対された。
人生の先輩方は、別にスピリチュアルというわけではありませんが、みなさん人をよく見ております。
感謝なことは私の周りのことは耳に入るということ。いくら年齢を重ねても、アドバイス・・・助言というのはやはり私を導いてくれるもので、年をとってもほしいものであります。

”後継者育成”
その意思を曲げずにチャレンジしてくれたので今の藤丸建設があります。
一つなければ絶対今はないですから。

いつかその判断が「よかった」と思える日までは、かなりの時間がかかると思います。

先々のことや将来のことは誰もわかりません。今していることが本当にあっているのか、このままでいいのか・・・

たった一人が

”育てなければ・・・”

と思った瞬間、くるくると歯車が回り始めた瞬間。

一人の行動が大きな波になります。
環境問題でもなんでも。

たった一人の人がちょっと気にかけることで、いつか大きくそれは動き出す。

たった一人の”育てなければ・・・”から始まったストーリー

本当に大切なもの・・・手刻み手加工、手づくりの住まい・・・木の文化の継承・不思議なやすらぎの木の住まい・増改築や古民家再生リノベーションなど。その中でもソフト面ももちろん伝えていかなければ・・・

今までこの道一本でやってきた素晴らしい職業と培ってきた技術のすべてをこの世に残すべき。あとは周りからご教授いただいた事も伝えていく

若い人を育てる・・・当時は人数集めに四苦八苦した、いくら募集しても実績のない、いち工務店には見向きもしてくれなかった

入社したと思えばやめていき・・・なんど諦めようと思った事か、、、諦めたらそこで終わり。

とにかくどうしたら希望者が来るか・・・

そこで・・・ひらめいたんです!

男女問わず募集!!

すると2名の希望者が!!

・・・

・・・・・・

一か月後・・・

1人やめました( ;∀;)

そして1年後・・・

もう一人辞めました(‘_’)

・・・だめだ

そんな時に一人の女性が物語の一ページを開いた・・・

女性は・・・

金髪✖ボウズ✖チャリ✖ジャージ✖鋭い眼光・・・

容姿を見るなり、一瞬立ち止まった記憶がある・・・

今、藤丸建設を支えてくれている・・・